昨日は、仕事の帰りに王寺から三郷町へ抜ける大和川の南沿いを走ると、途中対岸沿いに式内社の久度神社が見えたので、車を降りて暫く周りの風景を眺めていました。
西へ少し行くと龍田大社があり、東へ行くと法隆寺があり、その中間点にこの神社があります。
ここは元々久度神を祀っていて、桓武天皇が平安京へ遷都する際その母高野新笠が京都の平野神社を勧請し、その四柱祭神の1つでここの久度神を祀ったのである。
今はかまどの神としていますが、元々は(3世紀前半頃)百済の第6代仇首(クス)王であり日本ではクドと呼ばれていた百済王を、後にここへ渡来した百済の王族もしくは豪族が祖先神として祀ったとみられる。
確かに南へ2,3キロへ行くと百済王氏の氏寺である片岡王寺と百済人「木姓阿留素西姓玲貴」の末裔で大原神を祀った大原神社があります。
察っするにここの大和川流域は渡来した百済人が占めていて当然大阪から大和へと行く交通の要所であった事は事実であろう。
まだまだ書き足りないのですが、最後に桓武天皇の母である高野新笠の父は倭乙継(やまとのおとつぐ)で、その200年前の祖先は(5世紀初頭)第25代百済王、武寧王であることを付け加えておきます。