古代に戻ると大陸から渡って来た人と物は、船で河内湖から大和川を通じ直接大和へ行く途と、途中に石川へ行く途とがありました。
石川に行く船は流域の途中で人と物を降ろし、牛車に荷物を載せて竹之内峠と平石峠を越えて大和へと行きました。
宝亀元年(770年)3月3日孝謙天皇は、百官の文人と学生で曲水の大宴を石川(当時博多川)のここ玉手橋付近で催されたそうです。
その月の3月28日には、渡来系豪族の葛井、船、津、文、武生、蔵6氏族の歌垣も行われたそうです。(続日本書紀)
今では8月1日にはこの川から大花火が観られ、いつの世も華やかな宴を催したい気持ちは同じですね。
※玉手橋は昭和3年に、近鉄が玉手山遊園地と道明寺駅を往来出来るように石川に架けた橋で、文化庁の登録有形文化財に指定されてます。橋柱の煉瓦張りがレトロ感があって好きですね。
石川流域と玉手橋
玉手橋と花火を観ている人たち
はじめに2つの画像を見ていただきたいと思います。
上の2つは土塀のある家並みの風景ですが何かお気付きでしょうか?
上の画像は大阪府阪南市にある「泉州の土塀」です。
下の画像は韓国の安東地方にある「韓国の土塀」です。
昨日の夜は僕がオーナーを務める韓国料理「ごっちゃん」に、このブログを稿読していただいてるK氏とその友人2人と3人で訪ねてこられました。
実はK氏とは初面識で、稿読していただいてることも知りませんでした。
K氏も古代史ファンで、特に朝鮮文化との係わりに関心があり、ブログに投稿した「クンチョゴ王」と「天神さんのルーツ」のお話などすごく刺激を受けたようでした。
K氏自身もすごく勉強されていて、韓国にも行かれて歴史や文化を触れられてきたようです。
それで、最初の韓国と泉州の土塀が良く似ている点も熱く語っておられました。マッコリを交しながら古代史話に花が咲き、またの再会を約束しました。
ブログでこういう出会いもあり、僕の古代史話も関心を寄せておられる方がいることも知り、これからは古代話を出来うる限り投稿したいと思います。
最後に訪ねてこられたK氏と友人の方には本当に有難うございました。
下の画像は、プレゼントに頂いた韓国と泉州の土塀を写真に収めた20数枚アルバムの表紙で、手作りで味わいのある絵で気に入りました。
一昨日は奈良県御所市にある高鴨神社で池を見に行きました。
神楽の舞台らしきものがあっていっそう荘厳さが増したようです。
ここは全国にある鴨神社の総社であるとされていて、京都の下、上賀茂神社も近くには鴨都波神社や二上山の加守神社もそうです。
鴨(カモ)は→神(カミ)が転訛したもので、神の語源は古代朝鮮で生態系の頂点に立つ熊(朝鮮語でコム)がカム→カミ(神)に転訛したとようです。
この辺は古代は賀茂(鴨)氏族がいて、どうも呪術を行う集団だと言う人もいます。主祭神で阿治須岐高日子根命(アジスキタカヒコネノミコト)で名前の中にスキ(鋤)があるので農耕の神とされているようで、他祭神の一つで下照比売命(シタテルヒメノミコト)として天(日)の神があり、この二神が農作物の豊穣を願い祀ったのであろう。
奥飛鳥に柏森(カヤノモリ)という古代からあった村があり、加夜奈留美神社あります。そこは加夜奈留美命(カヤナルミノミコト)として天(日)神が祀られていて(飛鳥坐神社にも祀られいる)、ここは呪術集団がいたとされる。理由はさておき加夜奈留美命-下照比売命が同じじゃないかと思う。
ちなみに加夜(伽耶)は古代朝鮮半島の東南部地方で地名、奈留(ナル)は朝鮮語で日(天)と言う発音で伽耶の天神様とでも言いましょうか?!
話が長引き今日はここまでにしときます。
龍と池
境内から見た鳥居
オーナーを務めさせてもらっている韓国料理「ごっちゃん」が、「ぐるなび」に登録しました。
堺筋本町駅→韓国・エスニック料理で検索すればトップに出ていて、特典クーポンも付いていてどんどんご利用の程、よろしくお願い申し上げます。
今朝の暗いうちに目が覚めふと、感じるものがあり当麻寺へ…
いつもの蓮池に行くと蓮達も夜明けの光を待ってたようです。
蕾の一つが光を発っしておりオ―ラを感じました。この時間帯は何かがありますよ。