8年前の春、迎日県(迎日湾)を目印に都祈野を探しに先ずプサンへ行きました。それから北東方面に高速バスで1時間半で「慶州」へ、タクシーに乗り換えて40分で「浦項」へ、
「浦項」の近くに「迎日民俗博物館」があり中に入ると、朝鮮半島では古代から村等の守り神でとぼけた顔の「チャンスン」(将軍)が出迎えてくれました。「チャンスン」も「大将軍神社」として日本に渡り各地へと祭られる。
「大阪天満宮」の中に摂社としてあり、菅原道真が九州へ左遷前に、ここの「大将軍神社」に参ったのは有名な話である。また桓武天皇が「平安遷都」の際に、都の東西南北に「大将軍神社」を配置してる。
砂浜の先が「迎日湾」で先の陸が地図では「チャンギ岬」と書いてるが地元では「虎美尻尾」(ホゥミコッ)又は「兎の尻尾」(トキコリ)と言っている。
地図で分かるように「浦項」の右横に突起があるところ。そこを目指してタクシ-で20分かけて行く。
岬に着き車を降りると目についたのは蒼い海と黄色い菜の花、なぜか女性が一人でいてた。
それから先へ行くと公園があり海岸に向かうと大きな腕のモニュメントが…(手で陽を掴む意味)
それから海岸に行くと沖に腕のモニュメントが…そう、ここが「迎日記念公園」で天神さんのふるさとの「都祈野」であった。「延鳥郎」・「細鳥女」のモニュメントもこの場所である。
昔、「ムーダン」(朝鮮の巫女さん、シャーマンにも通ずる)がここで日の出に祈祷する姿が浮かんできますね。
今は毎年元旦の日の出時に、人々が集まり「迎日祭り」を行うという。日本の初詣かな?
ちなみに「都祈野」の語源は、朝鮮語の「日の出」(ヘトジ)が(トキ)に転化し日本へ渡り(トキ、ツゲ、トガ等)に転化する。土岐、都祁、拓殖、富木、兎我、闘鶏等が天神を祭った所で、そこから東へ日が昇るところを「日向」とか「向日」と言うらしい。
次回は大阪に渡った天神、それをを祭った「都祈野」を探しに行きます。